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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)12086号 判決

原告

陳上貴

右訴訟代理人

元林義治

被告

右代表者法務大臣

倉石忠雄

右指定代理人

石川達紘

外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一被告が昭和一九年に「大東亜戦争特別国庫債券は号」を発行し、その一部を台湾地域で売り捌いた事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉を総合すると、原告主張の請求原因1の事実〈編注・原告の本件国庫債権の購入と所持〉を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

二被告は、本件国庫債券に対する元金の償還請求権及び利子の払渡請求権は時効により消滅した旨主張する。

そこで、検討するのに、日本統治時代の台湾は大正六年勅令第三六号により国債ニ関スル法律(明治三九年法律第三四号)の施行地域とされていたのであるから、昭和一九年に台湾で発行された本件国庫債券に対しては同法の適用があるものであつて、その所持人と国との間の当該証券に関する法律関係は同法によつて規律されることとなる。このことは、右の所持人が日本国籍を有するかどうか、また同人の住所が日本国の主権の及ぶ地域内にあるかどうかによつて左右されるものではない。

国債ニ関スル法律九条一項本文は、国債の消滅時効は元金にあつては一〇か年、利子にあつては五か年をもつて完成する旨規定しているが、同条項本文の規定は、本件国庫債券の発行された昭和一九年当時から存在していたものであるうえ、本件国庫債権の券面上にも右規定と同趣旨の文言が記載されている。

他方、同法一条一項によると、国債の償還期限その他起債に関し必要な事項並びに元金償還、利子支払等に関し必要な事項は大蔵大臣がこれを定めるものとされ、国債規則(大正一一年大蔵省令第三一号)四七条は「国債元金ノ全部償還ヲ為ストキハ其ノ償還期日ヲ定メ之ヲ告示ス。但シ償還期限満了ノ日ニ於テ償還スル場合ハ此ノ限ニ在ラス。」と規定し、起債時に定められる償還期限と起債後に定められる償還期日とを区別し、償還期限前に元金全額を償還する場合があることを明白に予定しており、また、その場合の利子の取扱について同規則五二条本文は「起債当初ニ於ケル利子ハ起債ノトキ之ヲ定メ、国債元金償還ノ場合ニ於ケル利子ハ元金償還ノ期日マデ之ヲ附ス。」と規定している。

本件国庫債券の元金の償還期限が起債の際は昭和三七年六月一日とされ、また、利子の支払期日が毎年六月一日にその日以前一か年間に属するものを支払い、元金償還の日に特別利子三五円を支払うものとされていたことは、前認定のとおりであるところ、〈証拠〉によると、大蔵大臣は昭和二六年一〇月三日大蔵省告示第一四〇二号をもつて、大東亜戦争特別国庫債券い号、ろ号、は号、に号及びほ号につき元金の全部を繰上償還すること及びその償還期日を同年一二月一日とすることと定め、同年一〇月三日付け官報によつてこれを公示したことが認められる。

以上によれば、本件国庫債券の元金の償還期日は昭和二六年一二月一日に到来したものというべく、原告は台湾住民であつて日本国との平和条約(昭和二七年条約第五号)附属議定書の署名国の国民ではないから、原告の有する右元金の償還請求権については同議定書Bの規定の適用がなく、したがつて右請求権については昭和二六年一二月一日から一〇年の消滅時効期間の進行が開始し、また、本件国庫債券の利子の払渡請求権に関しては、最後の払渡分についても昭和二七年六月一日から五年の消滅時効の進行が開始したこととなる筋合である。

三原告は、日本政府がポツダム宜言を受諾し、台湾が日本の統治下から離脱したことにより、国債ニ関スル法律及びその附属法令等、それまで台湾において施行されていた日本の法令の効力は、じ後台湾の地域内では効力を失つた旨主張する。

前記大正六年勅令第三六号「国債ニ関スル法律ヲ朝鮮、台湾及樺太ニ施行スルノ件」は、日本国と連合国との平和条約の発効により失効したものであつて、その後は台湾が国債ニ関スル法律の施行地域でなくなつたことは明らかであるが、本件国庫債券は前述のとおり同法が台湾に施行されていた当時台湾で発行されたものであるから、その後台湾が同法の施行地域でなくなつたとしても、そのゆえをもつて本件国庫債券に対し同法が適用されなくなつたものと解することはできない。

また、国債証券の所持人と国との間の国債に関する法律関係については、所持人の国籍及び住所地のいかんを問わず国債ニ関スル法律の適用があるものと解すべきことは前述のとおりであるから、原告が現在日本の法令の効力の及ばない台湾地域に居住している事実は、同人と国との間の国債に関する法律関係について前記法律の適用があることを否定すべき理由とはなり得ない。

更に原告は、日本のポツダム宣言受諾後は、台湾に居住する台湾人は日本国内において公示される告示の内容を知るすべがなかつた旨主張するけれども、告示は、官報に掲載して公示することにより関係人の知、不知にかかわりなく効力を生ずるものであつて、たまたま関係人が国外に居住している場合にその者に対する関係においてのみ告示の効力が生じないものとすることは、そもそも国債規則四七条が不特定多数の国債証券所持人全員について画一的に法律関係の変動を生ぜしめることを目的として、元金の償還期日の決定の効力発生を告示という方法によらしめている制度本来の趣旨に副わないこととなる。したがつて、原告が台湾に居住しているため前記大蔵省告示を知り得なかつたとしても、原告の所持する本件国庫債券の元金償還期日について、右告示による償還期の繰上げ措置の効力が生じなかつたものとすることはできない。

四進んで、原告の再抗弁について判断する。

昭和二七年八月五日に発効した日華平和条約三条は、台湾住民等の日本国に対する請求権(債権を含む)の処理を日本国と中華民国との間の特別取極めの主題とする旨をうたつていたが、右規定は一般的に台湾住民等の請求権の処理についての方針を明確化したものにすぎず、右規定をもつて、日本国が個々の台湾住民に対し負担している個別的、具体的な債務について時効中断の原因となる債務の承認をしたものと解することはできない。

また、右の特別取極めがなされないうちに日本国は昭和四七年九月に中華人民共和国と日中共同声明を発出し、これに伴い、当時の大平外務大臣が日華平和条約が終了した旨の声明を発表したので、同条約三条所定の特別取極めによつて台湾住民の請求権を処理することが不可能となつたことは当事者間に争いがないけれども、日華平和条約三条は、日華両国間において請求権の処理に関し特別取極めがなされるまでの間は台湾住民が直接日本国に対し個別具体的な請求権を行使することができないものとした趣旨の規定であると解せられないので、原告が本件国庫債券の元金償還請求権及び利子払渡請求権をそれぞれの弁済期到来後に行使することについての法律上の障害は、何ら存在しなかつたものと認めるほかはない。

してみると、原告の再抗弁は失当であつて採用することができず、本件国庫債券についての元金償還請求権は昭和三六年一一月三〇日の経過により、利子払渡請求権は最終の払渡分についても昭和三二年五月三一日の経過により、いずれも時効完成により消滅したものというべきである。

五以上説示のとおりであつて、被告の抗弁は理由があり、本件国庫債券につき元金償還請求権及び利子払渡請求権を有することを前提とする原告の本訴請求は、その余の争点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(近藤浩武)

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